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3月, 2020の投稿を表示しています

二分法:静的と動的

静的=Ep, Ij 動的=Ej, Ip 静的: ILE、LII、LSI、SLE、SEE、ESI、EII、IEE ・静的タイプは、現実を一連のエピソード、シーン、写真として見る。静的タイプの意識は、変化の連続的な流れではなく、これらのばらばらな個別状態を知覚することに向けられている。 ・静的タイプが出来事の説明を行う場合、出来事自体を一般化し、それを類似イベントの中にある個別のイベントとして扱う傾向がある(「大抵、私は新年を祝います...」)。 ・通常、静的タイプの話には展開の中心となる主要人物が1人いる。これは話の過程でほとんど変化しない。 ・静的タイプの話では、行動の説明やイベントの流れよりも、状態の説明が優勢である。これに加えて、ある状態から別の状態への移行は連続的なものではなく、ある状態から別の状態へ飛躍する。 語彙:連鎖動詞として「to be」(「~になる」「~に見える」)を頻繁に使用する、法動詞によって非人格的な提案を頻繁に使用する(「しよう」の代わりに「したい」、「できる」、「することが可能だ」)、動詞なしの構文使用。 動的: SEI、ESE、EIE、IEI、ILI、LIE、LSE、SLI ・動的タイプの場合、出来事は連続した繋がりとして見なされ、個別のエピソードに断片化されない。動的タイプの意識は、別個の状態ではなく変化の連続的な流れを知覚することに向けられている。 ・出来事を説明する時、動的タイプは発生した具体的なイベントを一般化せずに説明する傾向がある(「去年の正月、私が行ったのは…」)。発話において、動的タイプは自身が描写している出来事の中心におり、聞き手はそこに「引き込まれる」ような印象を受ける。 ・通常、動的タイプによる話では、全ての登場人物がある時点で主役になり、中心的な役割を担う。この役割は無生物にも与えられる。 ・動的タイプの話では、プロセスの描写が優勢である(既に発生したものではなく、発生中、起こっている、進行中のもの)。 ・語彙:直接的な目的を持たない行動動詞を使用する(「動いた」、「なった」、「させた」、「決心した」、「気分転換した」、「少し泣いた」)。彼らの話には、語り手や他の登場人物の行動、それら全ての相互作用を表現する多くの動詞が使用される。 注記 文章の文法的な構造にアナロジーを引

クアドラと機能の符号

注:これらは+/-の説明であり、機能を完全に説明するものではない。機能はこれより遥かに複雑である。これらはReininの二分法(プロセス/結果)がどのように機能を修正するかについて説明するものであり、考慮すべき15のうちの1つに過ぎない。これらは個人について深く伝達するものではないため、人格を単純化した描写であることを承知すべきである。 アルファ -Fe:負の感情を最小化または回避する。口論、スキャンダル、および感情的な不安定性を引き起こすその他の状況を防ぐ。これは、肯定的な感情的効果を作り出すことよりも重要視される。 -Ti:グローバルな構造論理。体系的な分析は、世界を理解するために彼らが使用する手段である。彼らは、その機能を支配する普遍的な法則に主に興味を持つ。このため、全ての伝統、慣習、制限は棄却される。あらゆるものが分析、再定義、類推に晒される。彼らが追究する主な目標は、包括的で驚異的、かつ特異な世界観の創造である。あらゆる物事において、一貫性、合理性、公平性の意図が、彼らのビジョンに完全に浸透している。 +Si:ポジティブな快適感。ライフスタイルが苦難に満ちている場合、彼らは自身の潜在能力を効果的に実現することができない。活動のスタイルは、リラックス、自由、利便性によって特徴付けられる。活動が展開される外部の環境との関係は、友好的で愉快なものでなければならない。彼らのグループは常に快適で、自宅にいるかのようにリラックスしており、決して乱暴でも風変わりでもない。 +Ne:有望なアイデア。風の要素に帰属すると考えられるこのクアドラでは、未来や、未開拓の未知の可能性について頻繁に語られる。彼らは救い難い夢想家のように見えるかもしれない。それは正しい。彼らは、地平線を越​​えて誰よりも先を見据え、「クレイジー」な理論を提案し、喜んで議論する。ただし、これらの理論の一部は広く認められることになり、提唱者の死後も残る。 ベータ + Fe:ポジティブな感情を最大化する。小規模のパーティーでさえ楽しむ。このクアドラに常に伴う劇的で荒れ狂う感情を背景に、肯定的な反応に値するような些細な出来事は、全て喜びの機会と見なされ、精神を高揚させる。 + Ti:組織的な論理。彼らは、選択されたプロジェクトに対する発達した義務感、市民権、

モデルA:心理機能②

5.暗示機能 暗示機能は双対を求める機能とも呼ばれる。この要素は主導機能の活動を完全に補完、推進するため、この要素には圧倒され難い。この要素が日常生活に存在するほど、その状態に自然と順応する。この種の情報によって気安く楽しみ、その持続的な存在は心を落ち着かせる心理的効果を生み出す。環境でその不足を感じると、それを自分で供給しようとすることがあるが、すぐに疲れ果てる。動員機能とは異なり、他者からの集中的かつ長期的な供給は積極的に受け入れられる(ある程度、個人の二重化の程度に依存する)。 日常生活において、人はこの機能の使用に深く焦点を合わせ、常に現実のこの側面を通して環境から受け取った情報を消化しようとする。それによって主導機能を補完し、個人が自我の探求について深く理解するだけでなく、より満足するためである。 6.動員機能 動員機能は、 活性化機能 および 隠された思惑の機能 とも呼ばれる。この要素への助けは大いに歓迎されるが、一定の度合いを過ぎると過剰なものと見なされる。暗示機能よりもこの機能を使用する方が快適だが、それでも散発的な使用に留まる。この機能を評価していない相手に、不注意にもそれを向けると、手厳しい反応に出会うことになる。相手はそれを幼児性の発露として受け止めているからである(そもそも人はこの要素を真剣に捉えているので、暗示機能を使用する場合よりもずっと、成熟して熟慮された印象を与えるが)。動員機能における本質的なバランスの欠如により、際限なくそれを甘やかしたり、ひどく無視したりすることがある。これは暗示機能をサポートするために最適な機能である。 この要素が過剰に周囲にある場合、退屈するか、それを忌避することさえある。人はそれを良い生活を送るために必要な部分と考えているが、人生の主要な目標ではない。 7.無視機能 無視機能は、監視機能または制限機能とも呼ばれる。 この要素は主導機能の競合像であり、同じ領域に対する正反対のアプローチを表しているため、人はこの要素をほとんど使用しない。これは個人にとって頑固な頭痛の種として、潜在意識に居座る。したがって、人はそれを無視しようとする。無視機能の使用について他者から指導された場合、それを不必要な情報と見なす。なぜなら、その機能の使い方をよく知っているが、より便利な主導機能を好んで、